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ソチ・オリンピックと「反同性愛法」

このブログはロシアの軍事・安全保障情報を紹介するために運営していますが、ロシア一般について思うところもときどき書いて行きたいと思います。
とりあえず第一弾として、来年に開催を控えたソチ・オリンピックと最近成立した「反同性愛法」について書いてみました。



世界で最も高額なオリンピック

東京で2020年にオリンピックが開催されることが決定したが、直近のオリンピックは来年、ロシアのソチで開催される冬季オリンピックである。
ところがこのオリンピックについては、何かと評判がよくない。
もともとソチは2008年にロシアと戦火を交えたグルジアに近いという不安要因があったが(ただしソチ自体は風光明媚な観光地で、プーチン大統領の別荘があることでも知られる)、ロシアの宿痾とも言うべき汚職により、会場建設費用が当初予定の120億ドルから500億ドルにも膨れあがってしまっている。
これは北京オリンピックを上まわる額で、世界で最も高額なオリンピックと呼ばれる所以だ。
2012年のウラジオストクAPECの場合もそうだったが、ロシアではこうした大規模プロジェクトはたちまち汚職の巣窟となってしまう場合が少なくない。
プーチン大統領は最近、この問題に関してロシア・オリンピック委員会の副委員長を解任するなど強硬手段に出ているが、オリンピック関連施設の建設はプーチン大統領と関係の深い政府系企業「オリンプストロイ」が担当しており、「身から出た錆」という側面もある。

「反同性愛法」の中身

ここに来てさらに追い打ちを掛けているのが、今年制定された「反同性愛法」(内容については後述)だ。
米露は最近、ロシア国内での政治的自由や米国に引き取られたロシア人養子の扱いなどを巡って対立している。
こうした中で成立した「反同性愛法」に対して米議会内の対露強硬派は人権侵害であるとして強く反発しており、ソチ・オリンピックをボイコットすべしとの議論まで出てくるようになった。
かつてアフガニスタン侵攻によってモスクワ・オリンピックをボイコットされた経験を持つロシアとしては、34年ぶりに掴んだソチ・オリンピックはなんとしても成功させたいところであり、ソチまでボイコットされれば相当の痛手となろう。
ところでこの「反同性愛法」とはどのような法律なのだろうか。
端的に言うと、これは「反同性愛法」ではないし、そのような単独の法律が存在するわけでもない(したがって、この文章では括弧付きで「反同性愛法」と表記する)。
一般に「反同性愛法」と呼ばれているものは正式名を「伝統的な家族関係を否定する情報から未成年者を保護するために連邦法「健康及び発達に害を及ぼし得る情報から未成年者を保護する法律」第 5条及びその他個別の連邦法を改正する法律」という。
きわめて長ったらしいが、要するにこの法律は、

1. 児童の保護を眼目とし、
2. 「伝統的な家族関係を否定する情報」を規制する
3. いくつかの法律の改正

であるということだ。
中心となるのは、上掲の「健康及び発達に害を及ぼし得る情報から未成年者を保護する法律」であり、その第5条に「非伝統的な性的関係のプロパガンダ」を未成年者に対して行うことを禁じるとの規定が盛り込まれた。
また、「未成年者の権利保護の基礎」が改正され、このようなプロパガンダ行為に対して公的機関が必要な措置を講じることも新たに規定された。
また、行政違反法典も改正され、プロパガンダ行為を行った者に対する罰金刑も盛り込まれている。

「反同性愛法」の何が問題か

この法律の制定に中心的な役割を果たしたエレーナ・ミズーリナ下院議員は、この法律はあくまでも児童を守るためのものであり、子供に対して同性的な傾向を植え付けるので無ければ問題はないのだと主張している。
要するに同性愛者であることそのものを禁じているわけではない、という点は抑えておく必要があろう。
しかし、「反動性愛法」に多くの問題があることはロシア内外ですでに多数指摘されている。
最大の問題は、何が「プロパガンダ」なのかが明確に規定されていないことだ。
普通、法律で何かを禁止する場合は禁止される行為が具体的に列挙されるものだが、今回改正された法律にはそのようなはっきりした規定がない。
したがって、当局のさじ加減ひとつで何でも「プロパガンダ」として認定され、弾圧されてしまう危険性を孕んでいる。
そもそも街頭でのゲイプライド・マーチなどは子供の目に触れないことは不可能であるから、事実上、公の場で同性愛者の権利擁護運動を行うことは不可能になってしまう。
しかも、行政違反法典では、街頭行動だけでなく、マスコミやインターネットを通じた「プロパガンダ」も罰金刑の対象としている(しかも罰金額は通常のプロパガンダ行為よりも高い)。
こうなると、たとえばブログ(当然、子供にも自由に閲覧できる)で同性愛を肯定したり、テレビや映画で同性愛を肯定的に描くことも規制対象となりそうだ。
さらに言えば、Facebookで同性愛を肯定するポストに「いいね!」を押したらどうなるのだろうか?
また、この法律には同性愛という言葉は一度も登場せず、一貫して「非伝統的な性的関係」という言葉が用いられている。
この言葉にも定義が設けられていないため(これも法律としてはあまり普通ではない)、当局が「非伝統的」と見なせば規制できてしまう可能性がある。

再び、ソチ・オリンピック

もうひとつ、この法律の問題点は、外国人も対象としている点だ(行政違反法典にはロシア国民に対するのと同等の罰金刑のほか、最大15日間の拘留、国外退去の規定あり)。
そこで再びクロースアップされるのが、ソチ・オリンピックである。
「反同性愛法」に対しては世界のスポーツ選手たちの中にも批判的な人々がおり、8月にモスクワで開催された世界陸上では同性愛権利擁護の象徴であるレインボーカラーのネイルやリボンをつけて登場する選手達も現れた。
ソチ・オリンピックでもこうした選手達が大量に出る可能性はある。
これに対して女子棒高跳び世界記録保持者であるロシアのイシンバエワ選手が「ソチ・オリンピックに出るならばロシアの法律は守るべき」と発言して世界的に(悪い意味で)注目を浴びるなど、「反同性愛法」を巡ってスポーツマン達の間にも亀裂が見られる。
ロシア政府はIOCに対し、オリンピック参加選手や参観客は「反同性愛法」の対象としないとして理解を求めているが、これはこれで、同法が政権の意図でどうとでも運用できてしまう曖昧な法律である証左である。
さらに言えば、観光客と一緒に同性愛者を初めとする性的マイノリティの権利擁護団体が入り込んでくることは十分に予想され、彼らが世界に向けて何らかのアピール行動を取った場合、どう処遇されるのかは未知数である。

「反同性愛法」は「他人事」か

最後に筆者の見解を述べる。
筆者は性的に全くのヘテロ・セクシュアルであるから、こうした問題は「他人事」と言えなくもない。
しかし、ロシアで今、起こっていることにはやはり懸念を感じざるを得ない。
第一に、これは個々人の性的な傾向を「認められるもの」と「認められないもの」とに国家が峻別しようとする動きである。
「反同性愛法」は突然生まれてきたものではない。
ソ連時代の刑法では同性愛は「犯罪」とされ、保健省の疾病リストにも「病気」のひとつとして記載されるなど、弾圧を受けてきた。
さらに2000年代になるといくつかの州が独自の条例として「反同性愛法」とほぼ同様の規定を設け、同性愛者達が声を上げる機会を制限しようとしてきた。
これはロシア社会の中に根強く存在する同性愛蔑視(または嫌悪)を再び公的権力が取り込み始めた兆候であり、これがさらにエスカレートしていかないという保障はない(実際、前述のミズーリナ議員は同性愛カップルが養子を持つことを禁じる法案を準備していると伝えられる)。
第二に、このような個々人の内面に国家が干渉するような動きが、表向きは「子供を護るため」という大義名分の下に進められていることだ。
筆者も一人の親として子供は保護されるべきだと考えるし、接して欲しくない有害な情報というものはたしかに存在する。
だが、そもそも同性愛は子供にとって「有害な」情報なのか?そして「子供を護る」ということは本当にこのような強権的な手段で達成されるのか?という疑問がつきまとう。
むしろ、権力者が持っている特定の価値観をこそ護るために「子供」という大義名分が用いられている様に見えてならない。
最近、日本では漫画「はだしのゲン」を「子供にとって不適切な表現が用いられている」という理由で学校図書館で閲覧させないとの決定を下した教育委員会があったが、もともと開示に反対した市民の動機は「反日的な表現が含まれており、許しがたい」というものであったという。
「政治的に相容れない」が「子供を護る」にすり替わる過程は、ロシアの「反同性愛法」に通じるものがあるように思える。
そういう意味で、この件は「他人事」ではやはりない、と筆者には見える。
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